こちらの記事では、モスクワ五輪・マラソン日本代表選手と東京オリンピック2020のマラソン代表に内定している選手との絆、それに関係するモスクワ五輪のマラソンの悲劇についてお伝えしようと思います。

モスクワ五輪のボイコットという歴史と東京オリンピック2020には、実は綿々と受け継がれている選手たちの心の痛みがありました。

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モスクワ五輪代表選手たちの希望を奪ったJOCの決定事項

2020年の東京オリンピックのマラソンが、 IOC(日本オリンピック委員会)の突然の変更命令で東京から札幌へと変更されるニュースがありましたね。

東京でのマラソンコースを想定してトレーニングをしていた選手たちには、大きな戸惑いがあるようですし、マラソン観戦を楽しみにスケジュールを組んでいた観客の方にも大きな影響が出ているようです。

ただ、マラソン開催地の変更とは比べものにならないくらい、大きな大きな変更が「平和の祭典」オリンピックという舞台で起こりました。

1980年のモスクワオリンピックへのボイコット

日本代表のオリンピック不参加という予想もしない決定でした。

モスクワオリンピックが行われたのは、1980年7月19日から。そして、JOCが臨時総会を開き、モスクワオリンピックへの不参加を決定したのは、1980年5月24日。

大会開始、わずか2ヶ月前のことでした。

この瞬間、総勢178人の「幻の代表選手」、いや選手を見守ってきた関係者も含めれば何千人という人の夢と希望が打ち砕かれた瞬間でした。

モスクワ五輪・マラソン 日本代表は金メダル確実なあの選手だった

なぜ日本がモスクワオリンピックへ不参加・ボイコットを決めたのかは、別の記事にしていますので、是非、よろしければそちらをお読みください。

モスクワオリンピックボイコット国と理由 不参加を決めた背景とは?

さて、もちろんオリンピック出場を絶たれた「幻の代表選手」の中には、日本代表のマラソン選手3名も含まれています。

モスクワオリンピック・マラソン日本代表選手は、以下の3人でした。

  • 瀬古利彦(ヱスビー食品)
  • 宗茂(旭化成延岡)
  • 宗猛(旭化成延岡)

この中でも瀬古利彦選手は、金メダルが有力視されるほど圧倒的な強さを誇る日本代表のエースでした。

早稲田大学時代から日本マラソン界の将来を嘱望されていた逸材も、政治問題という国際社会の激流に巻き込まれ、4年に一度の祭典への出場を絶たれています。

今ではごく平凡な記録となってしまいましたが、日本人初の2時間8分台となる2時間8分38秒の日本最高記録を1983年の東京国際マラソンで達成したのも、瀬古選手です。

そして引退したのち、2016年11月より日本陸上競技連盟の強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダーに就任しています。

つまり、2020年の東京オリンピックのマラソン代表選考をするそのトップとして仕事をしているわけです。

モスクワ五輪と東京五輪を結ぶ選手同士の絆

さて、冒頭にも書いたように東京オリンピックのマラソン開催地が、東京から札幌へ移転決定し、大きな社会の反響を呼びました。

この時、この開催地変更に関して日本陸連の代表者として会見したのも、瀬古利彦さんでした。

瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、IOC(国際オリンピック委員会)からの通達で、開催地を変更せざるを得なくなったことを受け入れたことに関して、こう答えていました。

もっと早くいろんな意見を言いたいと思いましたが、IOCという力の前ではどうにもできない。もし東京でやらなきゃ困ります、ということを押し通したら『五輪でマラソンはやらなくていいと言われるのではないか』という思いがありました

瀬古利彦のコメント:スポーツ報知より

そうインタビューに答えたコメントが印象的でした。

個人的には、国際政治の問題で、わずが開催2ヶ月前に出場を絶たれたモスクワオリンピックへの無念など、とても言葉では言い尽くせない感情の上での言葉を選んだ発言ではないかと感じました。

そして、それを裏付けるかのように、東京オリンピックマラソン代表に既に内定している服部勇馬選手から掛けられた、ある言葉を瀬古さんは紹介しています。

服部君は『瀬古さんのようにモスクワ五輪がボイコットになるわけじゃない。札幌の地でマラソンができることは幸せです』といっていた。僕は涙が出ました

瀬古利彦のコメント:スポーツ報知より

オリンピック出場のために全ての人生をマラソンに注ぎ込み、他のことは全て犠牲にして競技に取り組んできた「2人のマラソン選手」の思いが重なった瞬間ではなかったかと思います。

まとめ

平和の祭典が、政治や競技団体組織のそろばん勘定で、選手生命を奪うのだけはあってはならない。強くそう感じました。

1980年のモスクワオリンピックから2020年の東京オリンピックまで。

この間、40年。

未だ心にくすぶり続けるモスクワ五輪代表選手の痛みと、現役オリンピック代表との心の交流に、なんだか胸が熱くなりました。

東京オリンピック・男子マラソンは、2020年8月9日スタートです。