こちらでは、モスクワ五輪をオリンピック日本代表が、大会不参加を決めた理由について引き続きお伝えしていきます。

この前の記事では、当時の世界情勢などをわかりやすく説明していますので、先にご覧になれば、よりモスクワ五輪ボイコットの理解が深まると思いますので、よろしければご覧ください。

モスクワオリンピックボイコット国と理由 不参加を決めた背景とは?

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モスクワ五輪 日本代表が不参加を決めた理由は?

さて、冷戦下の東西陣営対立、共産諸国と資本主義諸国の対立の契機は、ソ連(現ロシア)の「アフガン侵攻」でした。

この暴挙とも言えるソ連の軍事的アクションに対して、当時のアメリカ大統領・カーターが強く不快感を表してソ連を糾弾したわけです。

そして、アメリカを支持する西側諸国にモスクワ五輪へのボイコットを呼びかけ、それに応じて日本も政治的な判断を求められることになりました。

日本政府は、日米同盟という日米友好関係の根幹になる問題でもあるので、アメリカの主張を支持する側にまわります。

つまり「モスクワオリンピックボイコットを支持した」のです。

その政府の表明を受け、JOC(日本オリンピック委員会)は1980年5月24日、臨時の総会を開き、モスクワ五輪への不参加を決定。

総勢178人の「幻の代表選手」が生まれた瞬間でした。

モスクワオリンピック不参加は、そもそも誰が決めたのか?

日本政府がアメリカを支持してオリンピック不参加を支持表明してからも、JOC(日本オリンピック委員会)は懸命に不参加を回避する道を探ったようです。

といのは、当時の世の中の空気的には、「まさかオリンピックを辞退して不参加、ボイコットするなどという考えは皆無に近かったようです。

なぜなら、テレビでは連日、「頑張れニッポン!モスクワは近い!」と国民感情を煽るCMが流され、モスクワオリンピックのマスコット・ミーシャを主人公にしたアニメ「こぐまのミーシャ」もオンエア。

各媒体がこぞってオリンピック商戦に血眼になり、ポジティブで心踊るような情報を意図して積極的に流し続けていたからです。

つまり、日本の国民もみな「平和の祭典」、オリンピックという世界的なイベントでの日本人選手の活躍を楽しみにしていた状況だったんです。

ただ、こういう空気感の中で大会参加の方向を探っていたJOCも、結局は国際政治という「強烈な渦巻きの力」を前にして最後には骨抜きになり、弱腰の態度のまま、モスクワ五輪不参加を表明してしまいます。

それは当時のJOCという組織が、国からのスポーツ予算を受け取る日本体育協会内の特別委員会に過ぎなかったという側面が強いようです。

スポーツ財源を握る政府や日本体育協会の意向に逆らって、もし、モスクワオリンピック参加を表明すれば、どうなるのか?そんな思いもあったのだと想像します。

オリンピック参加不参加を決めるJOC総会決議は、政府関係者が見守る中で行われ、結果は、不参加29対参加13

不参加を支持した人の中には、

手を挙げてるのかそうでないのか、確かめないとわからないような中途半端な挙げ方の人がけっこういた

そういう証言もあります。

政府関係者が総会に参加したのも、もしかすると、政治的な圧力をかけようという意図があったのかも知れません。

ですが、この曖昧な態度で不参加を表明することで、オリンピック出場に向けて何年もトレーニングを重ねてきた選手たちの未来を奪った罪は余りにも大きい。個人的にはそう感じました。

ちなみに東京オリンピック2020開催にあたり、1980年のモスクワ五輪ボイコットに巻き込まれた幻の代表選手たちへのアンケートでは、

「ボイコットすべきではなかったか」という質問に対して、

82%の方が、「はい」と答えたそうです。

日本スポーツ会の悲劇

そう呼んでも足りないくらい悲惨な不参加決定だったのではないでしょうか?

レスリング・高田裕司 モスクワ五輪ボイコット涙の抗議