モスクワモスクワオリンピックボイコット国と多くの国がボイコットした理由についてお伝えしていこうと思います。
そもそも1980年に開催されたモスクワオリンピックは、近代オリンピックが始まって、初めて共産圏で開催される大会でした。
平和の祭典で世界各国がお互いを認め合う筈だったモスクワオリンピック開催でしたが、ある出来事を契機に、一転して多くの国がボイコットを表明。
つまり、オリンピック出場を取りやめたのです。
モスクワオリンピックボイコット国が不参加を決めた理由とは?
では、モスクワオリンピックボイコット国が、不参加を決めたその理由と一体なんでしょうか?
そのきっかけは、ソビエト連邦(現ロシア)のアフガニスタン侵攻でした。
これを理解するには、当時、世界が「冷戦状態」だったことを知っている必要があります。
第二次世界大戦後、冷たい戦争とも言われるように、ソ連を中心にした共産主義・社会主義陣営(東側諸国)と、アメリカを中心にした資本主義陣営(西側諸国)という、大雑把にいえば、「世界が2つに政治的に分断されていた時代」でした。
つまり、アメリカとソビエト連邦(ソ連)が世界の政治的・経済的・軍事的な中心的存在で、この米ソ2大大国が、戦争こそ起こさないけど対立して睨み合っているという状況。
冷戦という呼び名も、軍事力を使って戦う「熱い戦争」に対して「冷たい」と言われる理由です。
まるで、夫婦がお互い不満を抱えながら、じっとが我慢をしている様子にも似てますよね。
また、東側諸国(ソ連サイドの国)、西側諸国(アメリカサイドの国)と呼ばれるのは、当時のドイツが東西ドイツ、共産主義陣営(東)と資本主義陣営(西)で国が分断されていたことに由来しています。
こういう時代に、一番最初にお伝えしたソ連のアフガニスタン侵攻が起こったわけです。
ほら見たことか!こんにゃろう!
とアメリカがソ連に噛みつき、これがモスクワオリンピックボイコット、参加を表明していた多くの西側陣営が不参加を決める大きな理由になったのです。
ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議したアメリカのカーター大統領が、アメリカと連携する多くの西側陣営(資本主義・自由主義陣営)にモスクワオリンピックボイコットを呼びかけ、日本もこのアメリカとソ連の政治的対立に巻きこまれ、結果から言うと出場を取りやめたという悲しい結果になりました。
出場予定だった当時の代表選手たちの気持ちを考えると、本当に言葉にするのもはばかれる思いになります。
でも、こんな理不尽な事態が、実際、オリンピックという舞台で起こったのです。そのことは心に留めておくべきではないでしょうか。
まとめ
以上が簡単ですが、モスクワオリンピックボイコット国と、不参加を決めた背景とその理由です。
再度、夫婦関係で考えてみればわかりやすいですが、冷戦状態にあった夫と妻が些細なことでいきなり口論を始めて、夫側にるいた子供と妻側にまわった子供が困っているような状況。
日本はちょうどこの子供たちの状況で、親(アメリカ)の理屈に振り回されたということですね。
ちなみにこのモスクワオリンピックの次の大会は1984年開催のロサンゼルスオリンピックだったんですが、この時、ソ連および東側諸国は報復として出場をボイコットしています。
ほんと人間て、愚かですね・・・。
では、この「親の喧嘩」に巻き込まれた日本の対応。どういう経緯で実際ボイコットが決定することになったかを書いてみたいと思います。よろしければ、是非お読みください。