こちらの記事では、サッカー日本代表歴代キャプテンをつとめた選手とその選考から見るキャプテンの資質、またポジション別に見たキャプテン数の比較も含めて、
日本代表歴代キャプテン像とその共通点に迫ります。
あなたもご自身で、色々と予想しながら楽しんで貰えればと思いますし、東京オリンピック1964年大会のキャプテンが誰かを知っていれば、ちょっと自慢できるし、東京2020のサッカーもまた違う視点で試合を観れるかも知れませんね。
あとで出てきますから、お楽しみに。では早速!
東京五輪1964の時の代表キャプテンて誰?
この記事は、そもそも「東京オリンピック1964の時のサッカー日本代表キャプテンって誰だったんだろう?」そんな他愛もない疑問から始まりました。
そんなこと考えたことありませんか?
即座にその選手名を答えられる人は、相当の日本代表フリークか、相当お年が高い超ベテランサッカーファンでしょうか(笑)
色々とネットで調べてみても確たる表記がなく結構難航しましたが、ついに判明しまいたので、あなたにもお伝えしたいと思います。
では、前回の東京オリンピック1964のサッカー日本代表キャプテンに始まり、現在まで一気にキャプテンつとめてきた選手たちをお伝えしましょう。
サッカー日本代表歴代キャプテン
1965~1968年
八重樫 茂生:FW
東京オリンピック1964とメキシコオリンピック1968時のキャプテン。1968年のメキシコオリンピックでは、アジア初のメダルを獲得
サッカー日本代表の銅メダルに貢献した伝説のキャプテン
【隠されたドラマ】豆知識ですが、実は東京オリンピック直前まで、日本代表のキャプテンは小澤通宏さん(当時31歳)でした。
東京オリンピックを自身のサッカー人生の集大成と小澤さんは考えていましたが、開幕まで1か月と迫った9月の代表メンバー発表時に、小澤さんの名前は読み上げらなかったそうです。こういうドラマが東京オリンピックに隠されていたんです。
また調べていく中で面白かったのは、選手の交代についてのことです。
今では1試合3人まで交代可能ですが、当時は一切交代が認められてなかったそうです。最初から最後までスタメンで闘わなくてはならなかったと、Jリーグ初代チェアマン川淵三郎さんの手記で読みました。川淵さんも選手として東京オリンピックに出場しています。
過酷なレギュレーションの中、国民からの熱い応援を受けての試合。盛大な応援もあったでしょうが、それゆえに自国開催の大きなプレッシャーもあったと想像します。そのあたりのことは、別の記事に書いていますので参考にしてもらえればと思います。
・東京オリンピック1964サッカー日本代表
以下、敬意を表して当時のサッカー日本代表登録メンバーを載せておきます。
【監督】 長沼健
【コーチ】岡野俊一郎
POS | No | 名前 | 所属 |
GK | 1 | 保坂司 | 古河電工 |
21 | 横山謙三 | 立教大学 | |
BK | 4 | 平木隆三 | 古河電工 |
8 | 鎌田光夫 | 古河電工 | |
3 | 宮本征勝 | 古河電工 | |
6 | 鈴木良三 | 日立製作所 | |
2 | 片山洋 | 三菱重工 | |
7 | 上久雄 | 八幡製鉄 | |
10 | 小城得達 | 中央大学 | |
11 | 森孝慈 | 早稲田大学 | |
9 | 富沢清司 | 八幡製鉄 | |
5 | 山口芳忠 | 中央大学 | |
FW | 13 | 八重樫茂生 | 古河電工 |
14 | 渡辺正 | 八幡製鉄 | |
12 | 川淵三郎 | 古河電工 | |
17 | 継谷昌三 | 三菱重工 | |
16 | 宮本輝紀 | 八幡製鉄 | |
18 | 杉山隆一 | 明治大学 | |
15 | 釜本邦茂 | 早稲田大学 |
1969年~1974年
小城 得達:FW・MF・DF
FW、MF、DFをこなすオウンラウンダー選手
東洋工業(サンフレッチェ広島の前身)で活躍し、のち広島県サッカー協会会長
1975年~1977年
釜本邦茂:FW
日本史上最高と言われるストライカー
メキシコオリンピック(1968年)では7得点を挙げ得点王。サッカー日本代表の銅メダル獲得に大きく貢献
1978年
藤島 信雄:MF
1970年代を代表する名MF
国際Aマッチ64試合に出場7得点。所属クラブの日本鋼管でもキャプテンを務める
1978年~1979年
落合 弘:FW・MF・DF
国際Aマッチ63試合17得点
メキシコで銅メダルをとってからの日本代表初のキャプテン。守備のユーティリティプレーヤー的存在
1980年~1981年
前田 秀樹:MF・DF
法大在学中より日本代表に選出。
ポジションはMF(攻撃的MF)DF(リベロ)
1982年~1984年
田口 光久:GK
国際Aマッチ59試合出場(84失点)
引退後は「とんねるずの生でダラダラいかせて」で木梨憲武のパートナーとしてGKを務めてサッカーファン以外にも親しまれた。
2019年11月12日永眠(64歳)
1986年
木村 和司:FW
:横浜マリノス
韓国戦のFKは伝説のゴールとして有名
80年代半ばには日本の10番と言えば木村和司が絶対的な存在で、当時の代表は「木村のチーム」と言われるほどの存在
1987年~1988年
加藤 久:DF
:清水エスパルス
:ヴェルディ川崎
オリンピックやW杯本線出場を逃し続けた時の日本代表キャプテン。その反動か、Jリーグが開幕してから、ヴェルディ川崎の黄金期を築いた選手のひとり
1988年
原 博実:FW
国際Aマッチ75試合出場。37ゴール(歴代3位)強力なヘディングは「アジアの核弾頭」の異名を取ったストライカー
日本サッカー協会常務理事
1998-1999 浦和レッドダイヤモンズ 監督
2002-2005 FC東京 監督
2007 FC東京 監督
1989年
松永 成立:GK
1985-1991:日産自動車
1992-1995:横浜マリノス
1995-1996:鳥栖フューチャーズ
1997-1997:ブランメル仙台
1997-2000:京都パープルサンガ
ドーハの悲劇の際の正GK
現:横浜F・マリノスのGKコーチ
1990年
森下 申一:GK
1995-1997:京都パープルサンガ
現FC東京のGKコーチ
1991年~1995年
柱谷 哲二:DF・MF
1987-1992:日産自動車
1992-1998:ヴェルディ川崎
DFとしての厳しう激しいコーチングから、ニックネームは「闘将」。1993年のJリーグ開幕時の代表キャプテンはこの人。ヴェルディ川崎の黄金期を支えた選手の一人
2011- :水戸ホーリーホック監督
1996年~1999年
井原 正巳:DF
1990-1992:日産
1992-1998:横浜M
1999 :横浜F・マリノス
2000 :ジュビロ磐田
2001-2002:浦和レッズ
類稀なるディフェンス能力の高さから「アジアの壁」と呼ばれたDF
ワールドカップ初出場時のキャプテン
2015-2018 アビスパ福岡監督
2000年~2002年
森岡 隆三:DF
1994-1995:鹿島アントラーズ
1995-2006:清水エスパルス
2007-2008:京都サンガF.C.
シドニーオリンピック・日韓共催2002年のW杯時キャプテン。トルシエへの信頼が厚かった「フラット3」守りの要
2017-2018 ガイナーレ鳥取 監督
2002年~2004年
中田 英寿:MF
1995–1998:ベルマーレ平塚
1998–2000:ペルージャ(イタリア)
2000–2001:ASローマ
2001–2004:パルマ
2004–2004:ボローニャ
2004–2006:フィオレンティーナ
2005–2006:ボルトン(イングランド)
国際Aマッチ77試合出場。11ゴール
ジーコジャパンの発足と共にキャプテンを務めるが。怪我の離脱もありキャプテンを宮本恒靖に譲ることに。サッカーとの関わりを持ちつつ実業家としても活躍
2004年~2006年
宮本 恒靖:DF
1995-2006:ガンバ大阪
2006-2009:ザルツブルク(オーストリア)
2009-2011:ヴィッセル神戸
国際Aマッチ71試合出場。3ゴール。ジーコジャパンで出場した全ての試合でキャプテンを務める
2018- ガンバ大阪・監督
2006年~2008年
川口 能活:GK
1994-2001:横浜F・マリノス
2001-2003:ポーツマスFC(英)
2003-2004:ノアシェラン(デンマーク)
2005-2013:ジュビロ磐田
2014-2015:FC岐阜
2016-2018:SC相模原
イビチャ・オシム監督が就任降のキャプテン
天才的な閃きのビッグゼーフと飛び出しが印象的なGK。引退後ナショナルトレーニングセンターGKコーチに就任
2008年~2010年
中澤 佑二:DF
1996-1997:FCアメリカ(ブラジル)
1998-2001:ヴェルディ川崎/東京1969
2002-2018:横浜F・マリノス
国際Aマッチ110試合出場。17得点
2010年のW杯南アフリカ大会ではベスト16進出に貢献。ニックネームは「ボンバーヘッド」
2010年~
長谷部 誠:MF・DF
2002-2007:浦和レッズ
2008-2013:ヴォルフスブルク
2013-2104:ニュルンベルク(ドイツ)
2014- :フランクフルト(ドイツ)
2010年南アフリカW杯開催時の日本代表キャプテン。日本代表のベスト16入りに貢献した冷静沈着なMF
2014年~
本田 圭佑:MF・FW
2004-2007:名古屋グランパスエイト
2007-2009:VVVフェンロ(オランダ)
2010-2013:CSKAモスクワ(ロシア)
2014-2017:ACミラン(イタリア)
2017-2018:CFパチューカ(メキシコ)
2018-2019:メルボルン・ビクトリー(オーストラリア)
2019- :SBVフィテッセ(オランダ)
アギーレジャッパンで一時キャプテンを務める。現在もオランダリーグで現役
実業家、カンボジア代表監督などその活動はワールドワイド
2015年~2018
長谷部 誠:MF・DF
2002-2007:浦和レッズ
2008-2013:ヴォルフスブルク
2013-2104:ニュルンベルク(ドイツ)
2014- : フランクフルト(ドイツ)
2期にわたり日本代表キャプテンを長らく務めてきたが、ロシアW杯ベスト8敗退を機にキャプテンを辞退
2019年〜現在進行中
吉田麻也:DF
2007-2009:名古屋グランパス
2010-2012:VVVフェンロ(オランダ)
2012〜サウサンプトン(イングランド)
プレミアリーグで活躍するDF
2022年、森保ジャパンのキャプテンに
まとめ
さて、東京オリンピック1964から現在まで、50年以上のサッカー日本代表の歴史をキャプテンという視点からまとめてみました。
意外だったのは、FWのキャプテンが多かったことですね。
個人的には、DFやGKにキャプテンが多いのはなんとなくわかっていましたが、大変勉強になりました。一番少ないのはMFのキャプテン。やはりポジション同様に、FWとDFの調整役という点でみれば納得ですよね。
いずれにしてもFWか、DF・GKという両端、フォーメーションの頭とお尻を担当する強烈な個性を持つ人物がキャプテンには向いているよう。
ただ50年の歴史の中で、最も長期間キャプテンを続けてきた長谷部誠選手を例にとれば、やはりDF陣に最もキャプテン適任者が多いのも事実ですね。
よく「監督は結果。リーダーは人望」と言われますが、やはり他人事を自分ごととして捉えられるような寛容さや人望が、サッカー日本代表のキャプテンには必要なようです。