東京オリンピック2020のサッカー出場国が決まりましたが、2020年は自国開催のオリンピックですし、ぜひとも日本全体の大声援を後押しに、優勝してほしいですね。

今の日本代表ならきっと優勝できる!

と熱く語る前に、しばし冷静に。

前回の東京オリンピック、1964年の東京オリンピックに出場した時のサッカー日本代表の成績が気になったのでまとめておきたいと思いますので、ご参考になれば。

サッカー日本代表ファンなら、この豆知識は是非とも覚えておきたいですね。

スポンサーリンク

東京オリンピック1964のサッカーおもしろ豆知識

東京オリンピック1964年が開催された当時、実はサッカーはあまり人気がありませんでした。当時のオリンピック注目株は、何と言っても陸上競技と水泳。

陸上ではマラソンで銅メダルを取った円谷幸吉(つぶらや)選手が有名ですし、水泳に関して言えば、いわずもがな。戦前の日本はとても競泳が強かったんです。下のデータを見てください。すごくないですか?

  • ロサンゼルス五輪(1932) 金5銀5銅2
  • ベルリン五輪(1936)金4銀2銅5

戦後にも日本の水泳界は健在で、何度も世界記録を連発し、アメリカの新聞では「フジヤマのトビウオ(The Flying Fish of Fujiyama)」と呼ばれた古橋広之進さんにいたってはまさに圧巻で、ヘルシンキ(1952)メルボルン(1956)ローマ(1960)の3大会に出場し、それぞれ3個、5個、5個のメダルを獲得しています。

ただ残念ながら東京では国民の大きな期待は報われず、男子800リレーの銅メダル1個に終わりました。そして面白いトリビアとしては、この結果を受けて、全国の小学校へプールの導入が進んだと言われているんことです。面白いでしょ。

それに比べ、サッカーというスポーツは当時は人気がありませんでした。けれど、これまた予想に反して、実は現在のJリーグの集客に匹敵するほどのチケットが売れました。入場券の総発表枚数は63万8195枚。売れたのは61万6442枚。実に96.59%が売り切れた計算になります。すごい。

この数字は、サッカー先進国で開かれたW杯と比較しても実に驚異的な数字だそうです。

当時の物価目安:カレーライス一杯120円(東京)

当時の入場料は、決勝の特別席は3000円、2000円。普通席は1000円、500円、300円、200円、100円と値段も安かったのもサッカーが大きな人気を獲得した要因かもしれませんね

ですが、実際はイタリアの不参加、北朝鮮のオリンピック参加資格疑義を受けての帰国もあったこともあり実際の販売枚数は44万1161枚にとどまりました。

競技別に見ると一番多いのが陸上競技で、51万9000枚。ですから、予定どおりイタリアと北朝鮮の試合も行われていれば、サッカーが一番人気の競技になっていたかも知れません。

東京オリンピック1964のサッカー出場国と日本代表の成績

東京オリンピック1964のサッカー出場国枠は、全部で16カ国

会場となったのは、東京の国立競技場、駒沢競技場、秩父宮ラグビー場、横浜の三ツ沢競技場、埼玉県の大宮競技場の5会場でした。

出場国4カ国ずつが4組に分かれて1次リーグを行い、そのうち勝ち点上位の2チーム、計8チームが準々決勝へ進み、以後、準決勝、決勝へと勝ち上がるトーナメント方式です。

ただ16カ国のうち、イタリア選手団には大会前になりプロ選手がいることが判明したため不参加になり、最終的には15カ国の参加(14カ国と東西統一ドイツ)になりました。日本はイタリアと同グループで戦う予定でしたので、結果から言えば、これはとても日本代表にプラスに働きました。

さて、では早速、4つのグループと対戦国、結果をまとめておきます。サッカー日本代表はグループDでした。

1回戦(予選)

グリープA

試合勝ち点
東西ドイツ連合32105
ルーマニア32105
メキシコ 30121
イラン30121

グリープB

試合勝ち点
ハンガリー22004
ユーゴスラビア21012
モロッコ20020
北朝鮮00000

※北朝鮮は、他競技でレギュレーション違反により資格停止のため帰国。不参加

グリープC

試合勝ち点
チェコスロバキア33306
アラブ連合共和国31113
ブラジル31113
韓国30030

グリープD

試合勝ち点
ガーナ21103
日本21012
アルゼンチン20111
イタリア00000

※イタリアは大会棄権(大会規則違反のため)

結論から言えば、サッカー日本代表は強豪アルゼンチンを破り、見事予選突破してノックアウトステージに進出しています。

まとめていて気づきましたが、当時は勝ち点が「2」だったんですね。50年以上も前の東京オリンピック。時代の流れを感じることのできるひとつの指標ですよね。

ただ結果から言えば、イタリアが参加棄権したことで、決勝リーグに進めたという幸運も味方につけてのグループリーグ突破でした。

日本代表の試合結果とゲーム展開

サッカー日本代表の対戦スコア:1回戦

では、日本代表の戦った1回戦のスコアと試合経過です。

第1試合 1964年10月16日 14:00キックオフ

結果:日本 2–3 ガーナ

【試合経過とゴール】

  • 12分:日本(杉山)
  • 27分:ガーナ(Agyemang)
  • 52分:日本(八重樫)
  • 69分:ガーナ( S. Acquah)
  • 80分:ガーナ( Fulaiteh)

第2試合 1964年10月14日 13:00キックオフ

結果:日本 3–2 アルゼンチン

【試合経過とゴール】

  • 24分:アルゼンチン(Domínguez)
  • 54分:日本(杉山)
  • 62分:アルゼンチン(Domínguez)
  • 81分:日本(川淵)
  • 82分:日本(小城)

見事、日本代表は強敵アルゼンチンから逆転勝利をあげ、準々決勝(ベスト8)に進みます。会場は東京の駒沢陸上競技場でした。13,000人の観客が詰め掛けたことが記録に残されています。

ちなみに81分に日本の2点目をゴールしたのは、Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎さんです!

ともあれ、日本代表!自国開催の名誉を守りました!

サッカー日本代表の対戦スコア:準々決勝

さて、いよいよベスト8での戦いに臨んだサッカー日本代表。

対戦相手はチャコスロバキアでした。この国名もこの時代ならでは。今では分裂し、チェコスロバキアという名前の国はありません。果たして、日本代表はベスト4進出できたのでしょうか?

準々決勝 1964年10月18日 12:00キックオフ

【試合経過とゴール】

  • 43分:チェコスロバキア(Brumovský )
  • 59分:チェコスロバキア(Brumovský )
  • 69分:チェコスロバキア(Vojta)
  • 86分:チェコスロバキア(Mráz)

結果:日本 0–4 チェコスロバキア

ということで、完敗でしたね。

試合経過を見ると、前半終了間際までは拮抗した試合のようですが、43分に失点したのが、もったいなかったですね。後半はもうチェコスロバキアの攻撃にディフェンス陣も完全にやられた試合だったんでしょうね。残念です。

惜しくもベスト4入りできませんでしたが、日本代表に勝利したチェコスロバキアは決勝まで進んだんですよ。ハンガリーに負けてしましたが、見事、準優勝をおさめています。

東京オリンピック1964 サッカーの最終結果

  1. ハンガリー
  2. チェコスロバキア
  3. 東西統一ドイツ
  4. アラブ連合共和国

ごらんのように金メダルは、ハンガリー。銀はチェコスロバキア、銅メダルは東西統一ドイツという結果におわっています。

まとめ

東京オリンピック1964のサッカー出場国と日本代表についてお届けしてきましたが、いかがでしたでしょう?

今なら当たり前でスマホで撮れるような動画も、当時は35ミリや16ミリ、8ミリといったフィルムが全盛の時代。そう言えば、東京オリンピックの様子は市川崑監督で『東京オリンピック』という映画で記録された時代でした。

あれから56年。めまぐるしい時代の変化の中、2回目のオリンピックが東京で行われる幸運を実際にこの目で目撃できるわけですから嬉しいですよね?

是非、前回の1964年には達成できなかったベスト4を最低目標にして、サッカー日本代表には戦ってほしいと思います。

一緒に応援しましょう!

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。