女子ゴルフの渋野日向子さんの所属先は、RSK山陽放送であることはご存知でしょうか?
RSK山陽放送は、岡山兼にある地方のテレビ局なので普通に考えるとゴルフ選手の所属先になっているのはなぜなんだろうと思いませんか?なかなか接点や経緯が見えませんよね?
実は渋野選手とRSK山陽放送の関係は、ゴルフというスポーツが「重要な接着剤」になっているんです。
そのあたりの興味深い話についてお届けしていこうと思います。
渋谷日向子とゴルフの数奇な出会い
渋野日向子さんは、岡山県岡山市が出身地。
中学生のジュニア時代からゴルフの才能を開花し遺憾なく発実力を発揮して、その頃からもう既に将来を期待される素晴らしい選手でした。
そのあたりの詳細は、別記事にありますのでよろしけば見てみてくださいね。
・女子ゴルフ 海外メジャーを制した日本人は歴代この2人だけ!
そして、高校はスポーツ強豪高の作陽高校へ進学しゴルフ部に所属します。
ちなみに渋野日向子さんとゴルフの出会いは、小学2年生の8月のことだそう。
友達のお父さんがゴルフのインストラクターをやっていたことがきっかけで、彼女はゴルフというスポーツに出会います。
ただ小学生時代はソフトボールに熱中した渋野さん。中学に入ると唯一の女子選手として軟式野球部に入部しています。
また打撃に関しては、ゴルフスイングとのバランスを考えて左打ちに変更しています。このあたりの話も、すごく頭を使って自分なりに考えて実践する頭のいいアスリートだとわかる貴重な逸話ですよね。
そして野球との2刀流で続けていたゴルフでは、中学1年の時に岡山県ジュニアで優勝。以後、この大会を3連覇したことをきっかけに中学2年でゴルフ一本に絞ります。
が、実はその決断の裏には、野球部の監督から「ゴルフ一本の方が良い」という助言があったと明かしています。いい指導者に恵まれたのも強運ですね。
今でも「ゴルフよりソフトボールの方が好き」とソフトボール愛を公言する渋野日向子さん。
たられば、ではありませんが、もし中学時代にソフトボールを選んでいたら、あの全英オープン優勝の快挙もなかったことになります。
そう考えると、人生においての「選択することの大切さ」を改めて教えて貰えた気がします。
RSK山陽放送とゴルファー・渋谷日向子の縁
先にも書きましたが、RSK山陽放送は岡山県岡山市に本社を置くテレビ局です。
そのテレビ局社長の桑田茂さんが大のゴルフ好きだということが、渋野日向子さんとの関係を築く些細な始まり。
ゴルフ好きなので、「日曜日の朝にゴルフの番組をやろう」と何気なく提案したことが、その後の渋野日向子さんとの出会いやサポート活動につながるとは、予想だにしない何気ないひと言でした。
ただ、面白いのが、ゴルフ番組タイトルが
「SUNDAYスマイルGOLF」だということ。
まさに「スマイルシンデレラ」というニックネームで呼ばれるようになる渋野日向子さんとの未来を予見しているような偶然の一致。いや、奇跡の一致かも知れませんよね。
こういうことって、あるんですね〜。驚きました。歴史が動く時は、得てしてこんな不思議な符号があるんだと思います。
今では山陽放送の人気番組になっている「SUNDAYスマイルGOLF」ですが、最初に出演したのは、やはり岡山県出身のプロゴルファー・小橋絵利子さん。この番組出演が縁で、彼女は山陽放送の初所属契約選手となっています。
地元岡山へのスポーツを介して貢献したいという、地方局ならではの姿勢は、この頃から一貫して変わることはないようです。
桑田社長が渋野さんに初めて会ったのは、彼女が作陽高校時代にRSK山陽放送を訪ねてきたときだそうです。その頃から笑顔の絶えない朗らかな渋野さんだったと桑田さんは回想しています。
ただ、ゴルフを一緒にラウンドしてみると、笑顔の素敵な女の子どころか、その実力には心底驚かされたようです。
それを機会に何度か一緒にラウンドするようになり、時折軽い口調で、プロになったら番組出演や所属選手になってくれるよう、渋野さんに声をかけていたのだとか。
ただ当の渋野さんは、高校卒業後に初めて臨んだ2017年プロテストには残念ながら合格できませんでした。
しかし、翌2018年にはJLPGA最終プロテスト進出を果たし、14位で見事合格を勝ち取ります。その結果、番組「SUNDAYスマイルGOLF」への出演も実現。
渋野日向子というプロゴルファーとRSK山陽放送の蜜月、もっといえばスマイルシンデレラ物語の準備が整った瞬間でした。
ただ、当事者たちは、その後の展開など全く知る由もありません。
RSK山陽放送所属の渋野日向子プロの快進撃が始まる
プロゴルファーに転向して1年後の2019年2月。RSK山陽放送は、渋野日向子という女子ゴルファーと正式に所属契約を結びます。
全英女子オープンで42年ぶりの快挙を達成する6ヶ月前のことでした。
そして、RSK山陽放送と渋野さんが所属契約をしてからのち、彼女の快進撃が始まります。
契約して3ヶ月経った5月には、JLPGAツアーの公式戦・ワールドレディスチャンピオンシップ・サロンパスカップに出場し、通算12アンダーでプロツアー初優勝。
渋野さんの優勝した時の年齢、20歳178日は、2015年に記録されたチョン・インジ選手(韓国)の 20歳273日を95日更新する大会史上最年少優勝になっています。
新人でJLPGAツアー大会で優勝するだけでも並みの新人ではないのですが、公式戦優勝によって翌シーズンから3年間のシード権を獲得。しかも、そのわずか2ヶ月後には、早々に2勝目をあげるのです。
大会名は、資生堂・アネッサ・レディスオープン。
通算12アンダーで並んだイ・ミニョン選手とのプレーオフを制しての2勝目でしたが、実はこの大会は新設された第1回大会。
つまり「初代女王」として歴代優勝者として歴史に名前を刻んだ瞬間でした。
このあたりも渋野日向子さんの巡りあわせの強さというか、実力は言うに及ばず、運も味方につけていると思わせるエピソードではないでしょうか。
そして、その時が訪れる!全英制覇!
AIG全英女子オープンは、渋野選手にとって海外初試合でした。
そういえば、優勝したあとの記者会見でも「(イギリスへ)着いた途端、日本に帰りたかった」という発言をしてましたね。
大会前の目標は「予選突破」だったそうですが、初日と2日目は2位、3日目は2位に2打差の14アンダーで単独首位となり、このあたりから一気に日本中に「海外メジャー優勝」という言葉が明確に浮かんできた瞬間。
世界中のゴルフファンや関係者が、この若干21歳の日本人女子に注目していたのは間違いありません。
ある手記では、渋野選手よりキャディーを務めた青木コーチの方が緊張していたようで、最終日の朝吐いたと告白しています。。
3日目が終わってから青木コーチに物凄い多くの連絡がきたらしく「42年ぶり?やべーな」と。そらそうでしょう。緊張しない方が変ですよね。
渋野さんも例外ではなかったようで、最終日は3番ホールでダブルボギーを叩くなど出入りの激しいゴルフなど、最終日は安定感を欠きます。
一時は3位まで後退しますが、ここからが並みの新人とは違います。
再び15番ホー流でトップと並び、最終18番ホールでは、5メートルのバーディーパッとを難なく沈め、PGAツアー初出場初優勝を海外メジャー大会で飾るという、とんでもない偉業を達成しました。
そして、その勢いも追い風となっている2019年は、女子ゴルフ賞金女王も射程内に捉えてファンを魅了し続けるプレーをしています。
まとめ
RSK山陽放送の社長・桑田さんは、渋野さんが全英女子オープンに参戦することが決まったあと、どうしても居ても立ってもいられず、現地まで彼女を応援に駆けつけていたんだそうです。
ただ、渋野さんが優勝する瞬間のパットは、あまりの人垣の多さに視界をふさがれて見ることが出来なかったそう。
彼女がパットを打った姿は何とか捉えられたものの、あとは「コロン!」というホールに吸い込まれたゴルフボールの音と、突如として湧き上がったギャラリーの割れんばかりの大歓声で全てを知ったそうです。
もう呆然自失。感動の嵐です、ほんと。
また日本、特に岡山のRSK山陽放送では、AIG全英女子オープンで優勝した瞬間から公式HPにアクセスが集中しサーバーがダウン。いかに渋野選手のメジャー制覇が人々の心を動かしインパクトがあったのかを雄弁に物語るエピソードです。
人生は、ひとつひとつの選択と出会いによって出来ている。
そんな当たり前のことを渋野日向子というゴルファーに教えられた気がしています。さあ、次はあなたの番です。何をやってみましょうか?