2020年に東京オリンピックが開かれるにあたり、サッカー日本代表の歴代監督を知ることで、これまでの日本サッカー界やサッカー日本代表の歩みを見ていこうと思います。

歴史をひも解いて見ると、今ではサッカーや他のスポーツ界の重鎮として知っている「あんな人」や「こんな人」も、サッカー日本代表の歴代監督に名前を見つけることができると思います。お楽しみに。

では、早速、サッカー日本代表の歴史を振り返っていきましょう。

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1964年の東京オリンピックのサッカー日本代表と監督は?

歴代監督として個人的に気になったのは、

前回の東京オリンピックの代表監督は、誰だったのかな?

という疑問でした。誰だと思います?

知っている人には優しい問題かも知れませんね。

答えは、長沼健さん。

残念ながら2008年6月2日に77歳でお亡くなりになりましたが、サッカー日本代表監督はいうに及ばす、日本サッカー界を牽引してきた方です。

サッカー日本代表の監督としては

1962年~1969年(第1期)
1972年~1976年(第2期)

この2期にわたり日本のチームを指導してきました。

ですから、1968年10月24日に開催国メキシコと戦い、釜本邦茂さんの2ゴールで2-0で勝利し銅メダルを獲得した時も、サッカー日本代表を指揮した監督は、長沼健さんなんですよ。

1968年メキシコ五輪 日本サッカー銅メダルの瞬間

サッカー日本代表 歴代監督まとめ

Jリーグ発足以前のサッカー日本代表監督

さて、では今までのサッカー日本代表歴代監督のデータをまとめてご紹介します。まずは、1993年のJリーグ開幕までの監督をご紹介しましょう。

就任時期名前
1921年 佐々木等
1923年西田満寿次郎
1925年山田午郎
【中断】
1930年鈴木重義
1934年 竹腰重丸
1936年鈴木重義
【中断】
1938年~1940年竹腰重丸
中断】
1942年工藤孝一
1951年二宮洋一
1951年~1956年竹腰重丸
1957年高橋英辰
1958年川本泰三
1958年~1959年竹腰重丸
1960年~1962年高橋英辰
1962年~1969年長沼健
1970年~1971年岡野俊一郎
1972年~1976年長沼健
1976年~1978年二宮寛
1979年~1980年下村幸男
1980年 渡辺正
1980年~1981年川淵三郎
1981年~1985年森孝慈
1986年~1987年石井義信
1988年~1991年横山謙三

最多の代表監督歴は

竹腰重丸さんでした

また、何度かサッカー代表の活動のない時期は、日中戦争(支那事変)や第二次世界大戦の前後の時期に当たるよう。今後、こういう空白の時間がない、平和な時間を本当に祈りたいですね。

ちなみにアマチュアの日本サッカーリーグ(JSL)は、1965(昭和40)年2月19日からスタートしています。今はプロサッカーが当たり前ですが、日本のサッカーの歴史の黎明期です。

一つ大きなことに気づいたかも知れませんが、Jリーグができるまでは、歴代監督は全員「日本人」でした。

サッカー日本代表監督(Jリーグ発足後〜現在まで)

さて、ではいよいよ、Jリーグ発足後から、現在までのサッカー日本代表の歴代監督をみていきましょう。

1992年5月 – 1993年10月

監督:ハンス・オフト

初めての外国人監督(オランダ出身)であり、またJリーグ発足後初の外国人サッカー日本代表監督でもあります。

1994W杯予選の「ドーハの悲劇」の時の監督としても有名。予選敗退したのをきっかけに解任となりました。

対戦成績/33試合 16勝9敗8分

AFCアジアカップ1992 優勝
東アジア選手権1993 優勝

1994年5月 – 1994年10月 

監督:パウロ・ロベルト・ファルカン

ブラジル人指揮官。現役時代は世界を代表するボランチとして活躍。ブラジル代表では「黄金のカルテット」の1人として有名な人物。

南米サッカーを請われて日本代表監督に招聘されますが、アジア大会での成績不振により解任。わずか、5ヶ月という短期政権でした

1995年1月 – 1997年10月 

監督:加茂 周

日本人監督。日本が組織で戦うようになったその礎を気づいた言われる監督。最先端のゾーンプレスを採用したのは、つとに有名。

フランスW杯予選の成績不振により、1997年10月のカザフスタン戦後に解任されました。

プチ・トリビア

日本最大級のサッカー通販サイト「サッカーショップKAMO」は、加茂周さんの弟が経営しています。知ってました?

対戦成績/51試合 27勝14敗10分
ダイナスティカップ(1995) 優勝

1997年10月 – 1998年6月 

監督:岡田武史

加茂周監督の更迭をうけ、ヘッドコーチから昇格。「岡ちゃん」という呼称も。

サッカー日本代表初のW杯フランス大会出場を決めました!!

ジョホールバルの歓喜
対戦成績/19試合 9勝6敗4分

1998 FIFAワールドカップ予選突破
1998 FIFAワールドカップ。フランス大会(GL敗退)

大会終了後に代表監督を退任。

【関連書籍】
・岡田武史の考えるサッカー
・蹴球日記

1998年10月 – 2002年6月 

監督:フィリップ・トルシエ

フランス人指揮官。5年ぶりに3人目の外国人代表監督として就任し、ディフェンスには、フラット3を採用して結果を出し、注目されました。

2002年の日韓共催のW杯でも指揮をとり、見事グループリーグを勝ち上がりベスト16に進出しました。

対戦成績/52試合 24勝11敗17分

1999 ワールド・ユース選手権 準優勝
2000 アジア・カップ優勝
2001 コンフェデレーションカップ準優勝
2002 FIFAワールドカップ ベスト16

ワールドカップ後に退任しましたが、厳しすぎる規律や激情家であったことで批判も多かった監督でした。当時の代表メンバーだった黄金世代と呼ばれた選手たちが、そのあたりのことを面白おかしく話していましたね。

2002年7月 – 2006年6月 

監督:ジーコ

ブラジル人指揮官。言わずと知れたプラジルが生んだスーパースターの一人

Jリーグ発足後には鹿島アントラーズに加入して、そのジーコイズムを持ち込みました。アントラーズには今もそのジーコ魂が息づいています。

トルシエの規律を重んじるサッカーとは真逆の、選手の自主性や個人を尊重するスタイルのサッカーを標榜。アジアカップでは優勝を果たしますが、ワールドカップ・ブラジル大会本選ではグループリーグ2敗1分で敗退、退任。

対戦成績/72試合 38勝19敗15分

2003年東アジアサッカー選手権 準優勝
2004年AFCアジアカップ 優勝
2006FIFAワールドカップ(GL敗退)

2006年8月 – 2007年11月 

監督:イビチャ・オシム

ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)出身の指揮官。元ユーゴスラビア代表監督。

2003年、ジェフユナイテッド市原監督に就任。 2005年、Jリーグヤマザキナビスコカップ(Jリーグカップ)で初タイトル。その手腕を買われ、シーズン中にも拘らず2006年に異例の日本代表監督に就任。

オシムがテーマにする「考えて走るサッカー」を掲げ、日本人の敏捷性・運動量・献身性を活かしたパスサッカーを提案。

記者会見でのウイットに富んだ独特のインタビューも「オシム語録」と呼ばれ、世間でも大きな評判を呼びました。

ですが、2007年11月、千葉県内の自宅で脳梗塞に倒れ一時危篤状態に陥ることに。幸い一命は取り留めましたが、監督業を続けるには体調面に強い不安が残ることから退任しました。

今でも、あのままオシムの指導が続いていたら、どんなサッカー日本代表になっていたかと想像させる、そんな面白いサッカーでしたし、人間的にも非常に魅力的な監督でした。

対戦成績/20試合 12勝3敗5分

AFCアジアカップ2007 ベスト4

【関連書籍】

・日本人よ!
・図解オシムの練習―ベールに包まれた内容と意図
・考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか?
・恐れるな! なぜ日本はベスト16で終わったのか?
・信じよ!

2008年1月 – 2010年6月 

監督:岡田武史

オシムの突然の退任を受けて、第二次岡田ジャパンが発足。

当初はオシムのパスサッカーを引き継ぎましたが、結果が出ず、その選手起用法や戦術に批判が噴出することに。サポーターからは解任要求の署名まで提出されました。

しかし、その国内の予想を裏切り、WS杯本大会の直前にカウンターサッカーへと大きく戦術転換し、グループリーグを2勝1敗で勝ち抜け見事ベスト16へ進出。残念ながら、決勝トーナメントではパラグアイにPKで敗れベスト8には進めませんでした。

現在は、FC今治のクラブオーナー。そしてついにJFL3年目にして2020年からJ3昇格を決めています(2019.11現在)

さすがです。岡田哲学は学んでみる価値ありです。

【関連書籍】
・人生で本当に大切なこと 壁にぶつかっている君たちへ

対戦成績/50試合 26勝11敗13分

2010 FIFAワールドカップ予選突破
2010 南アフリカWS杯 ベスト16

2010年10月 – 2014年6月 

監督:アルベルト・ザッケローニ

イタリア人指揮官。 ACミラン、インテル、ユヴェントスなど世界の名門クラブでの監督経験を買われ、自身初の代表チーム監督として日本代表監督に就任。

日本人らしい、自分たちのサッカーを、

そんなスローガンのもと、とても面白い攻撃的パスサッカーで結果も残しますが、WS杯本戦では1分け2敗の勝ち点1でグループリーグ敗退。WS杯終了後に退任。

就任してから16試合連続無敗記録など、とても期待の持てるサッカーを展開しましたが、やはり世界の壁の高さを知らされるW杯になりました。

対戦成績/55試合 30勝12分13敗

2011 アジアカップ優勝
2014 FIFAワールドカップ(GL敗退)

2014年8月 – 2015年2月 

監督:ハビエル・アギーレ

メキシコ人指揮官。メキシコ代表監督として2002年W杯ベスト16、2010年W杯ベスト16に進出。また、スペイン名門クラブ(アトレティコ・マドリード、エスパニョールなど)での実績も買われて日本代表監督就任。

が、6月のW杯予選を控える時期に、過去のリーガ指揮官時代の八百長疑惑が浮上。告発が受理されたことで起訴される可能性も否めないことから契約解除。

わずか、半年足らずの短期政権になりました。結果から言えば、結局は起訴されていません。残念。

対戦成績/6試合 3勝1分2敗

2015 AFCアジアカップ(ベスト8)

2015年3月 – 2018年4月 

監督:バヒド・ハリルホジッチ

ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)出身の指揮官。国籍はフランス。

アルジェリア代表を率いてWS杯ベスト16に進出。優勝したドイツを最も苦しめたチームとして世界中から賞賛された戦略家。

ボールを前線へすばやく送る『縦に早いサッカー」がそのサッカーの特徴だが、対戦相手によっては戦術を変幻自在に変える戦術家の側面も。

ロシアW杯予選は辛くも突破したが、東アジアカップでは大惨敗も続投。

しかし、W杯開催2ヶ月になり、日本サッカー協会は突如解任を突きつける。

田嶋会長の「選手からの信頼感が薄れた」との説明には世間も困惑。未だその詳細は明らかになっていない。本当、なんだったんでしょうか?

対戦成績/38試合 21勝9分け8敗

2018 ロシアW杯予選突破

2018年4月 – 7月 

監督:西野 朗

ハリルホジッチ監督の突然の解任劇を受け、急遽、JFA技術委員長を務めていた西野朗氏が代表監督に就任。

世間の会議的な雰囲気のままロシアで戦うことになったが、結果は1勝1分1敗で決勝トーナメントに進出。惜しくも決勝トーナメントではベルギーに終了間際に速攻を決められ敗れたが、予想外のW杯ベスト16という成績を残す。

ワールドカップ終了後に退任。

2019年 日本代表の実績を買われ、タイ代表監督に就任

対戦成績/7試合 2勝3敗2分

2018 ロシアW杯 (ベスト16)

2018年7月~現在 

監督:森保 一

4年間に3度のJリーグ優勝をサンフレッチェ広島で果たした実績を買われ代表受理。

日本のA代表兼オリンピック代表監督は、フィリップ・トルシエに次ぐ史上2人目(日本人監督としては初)。

選手時代は日本代表にも選出されボランチとして活躍し、あの「ドーハの悲劇」を経験した選手でもあります。就任より、若手とベテランをうまく使い、実に面白いサッカーを展開しています。

まずは自国開催になる2020年のオリンピックに期待したいですね。

対戦成績/23試合 16勝4分け3敗(2019.11現在)

2019 アジアカップ 準優勝
2019 コパ・アメリカ(GL敗退)

まとめ

さて、ここまでサッカー日本代表の歴代監督をみてきましたが、どんな感想を持ったでしょうか?

個人的にはJリーグ発足時の1993年がやはりターニングポイントになっているように感じました。

あれから20年以上の年月を経て、日本のサッカーもどんどん進歩しているように思いますし、この記事を読んで少しでも過去、日本サッカー界の歩んできた歴史を感じて貰えたなら嬉しいです。

これからも日本代表のサッカーがますます発展することを一ファンとして祈っています。一緒にサッカー日本代表を応援していきましょう!

頑張れ、日本!